2015年8月9日日曜日

戦後18年目の子供。

もうすぐ52になります。
終戦後18年目の子供です。
18年は、20代では振り返ることは
困難ですね。
30代でも昔の事です。
40代後半から50代になると、
数年前の出来事のように思い出せます。
およそ18~20年前、
オウム真理教の事件と捜査がありました。
現在でも裁判が続いている出来事です。
僕の父親は50の時に僕を長男として迎えます。
彼の18年前は32歳でした。
戦争の直接体験をしている世代ですね。
僕がオウム事件を思い出せるように、
彼は戦争を思い出せたでしょう。
原子爆弾が広島と長崎に投下されたのが、
70年前の夏。
米国公式の資料では、当日の天候により
この2か所が決定されたことになっていますが。
かの地は戦艦大和(広島)
日本海軍旗艦武蔵(長崎)
これらの重工業生産地でした。
僕にはこの2か所が、天候の偶然ではなく、
米国の戦略的攻撃だったと思われるのです。
敗戦国である日本は、多くの一般市民を標的とした
この攻撃に対して、公的にクレームをつけることは
未だに困難です。
次に世界的な戦争が起こった場合、
僕たちより若い世代が死にます。
ただでさえ、高齢化社会。
高齢者の多くは戦争に従事した世代です。
彼らの敗戦の責任を70年たった今でも、
重い十字架のように背負わされた僕たちの世代。
また彼ら戦争に従事した高齢者世代のために、
若い命を散らすのでしょうか?
弱肉強食が自然の原理という考えは未だにあります。
ただ、強者は生き残る方式なら
人類は地球上に拡散しなかった。
弱い者は土地を追われ、新天地を求め旅をして、
今日のように地球全土に広がった。
そう僕は考えています。
弱者であることは罪ではありません。
強者であることも罪ではありません。
双方が考えなければいけないことは、
未来の子供たちのことです。
彼らが手をつなげる方法を、
僕たちは考え続けましょう。

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