2015年2月27日金曜日

道端の野の花のような二つの物語。

僕はサウナ愛好家で、2~3日に1回は銭湯のサウナに入る。常連客は皆、顔馴染みで彼らとの会話がひとつの楽しみでもある。

世間は相変わらずショッキングな事件にあふれ、その報道に目を奪われがちだが、意外と足元に綺麗な日常が転がっていたりする。

サウナルームの中から、そんな綺麗な話を二つ・・・・・・・・・

一つ目は昨日の出来事、一組の親子が入ってきた。僕以外サウナには居ない。実は彼らの行動を僕はじっと見ていて、少年の行動にとても感心していた。

身体が不自由になった父親の面倒を見ている。全身を隈無く洗い、髭も剃っていた。少年は小学校6年生、多感な時期だ。

彼はとても綺麗な目をしていた、最初一人で僕の隣に座り汗をかいていたが、サウナの上段席は上級者向け、少年の小さな体には発汗に伴うリスクが大きい。

僕は、そのことを彼に教えた。彼は素直に従い、下段の席に座り直後に父親のために扉を開いた。サウナルームの扉は不自由な身体では開けられないのだ。

父親は僕と同じくらいの年齢か、少し上かもしれない。左半身に大きな傷が見え、事故の影響かと思い僕は、
「交通事故ですか?」と訊ねた?
彼は、
「脳梗塞で倒れ全身麻痺の結果、時々転倒し骨折を繰り返しています。」と応えた。

おそらく、直球の質問に少し狼狽したのだろう、その表情は少し曇っていた。人間誰しも弱点に触れられたく無い願望があるものだ。
「下の席は、傷の辺りに丁度いい温度でしょう?」と僕が言うと。
少し表情を和らげ、
「本当に気持ちが良いです。疼くあたりが暖かくなります。」と応えた。

わずか5分の間こんなやり取りの後、彼らはゆっくり時間を掛け服を着て、着せてもらい銭湯を後にした。

哀れみではない、僕には子供が居ないので素直に羨ましかっただけだ。・・・・・・・・・・・・


もうひとつは、ずっと以前から続いている光景。

若い時分は、おそらく名の通った極道だったろう強面の二人。

親分格の人は多分90歳くらい、若い衆も僕より少し上の歳だと思う。

身体の自由が利かなくなった、この親分を若い衆は毎日面倒見ている。何でもガキの時分から世話になった先輩らしい。僕には出来ないことだ。

極道の世界の年功序列は強烈だ。

親や教師、警察や社会、それらのルールに従えなかった者たちが、ある日を境に見も知らぬ兄貴分や親分の命令に服従する。このシステムは僕には滑稽に思え、どうしても馴染めない。

自分の両親や兄弟の下着を洗ったことすら無い人物が、親分や兄貴分に命令されると、その脱ぎたての靴下を洗う。

わずか1歳か2歳上、場合によっては年下で、稼業に入った日数の違いで兄弟の格が変わる。何で、こいつらの下着や靴下を洗わなければいけないのか?理解に苦しむ。

しかし、毎日繰り返される、この親子の杯の絆は捨てたもんじゃ無い。仁義という使い古された言葉が胸に刺さる。





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