2015年2月5日木曜日

はじめて、投稿が運営サイドから削除されました。

理由は分かっています。誰がリポートしたかも分かっています。

さて、何が残酷で、何が不道徳であるか、ちょっと書いておきます。

事件の発生を報道で知ったとき、1月20日午後3時過ぎでした。ここでも度々書いていますが、TwitterやFacebookも使い人質の解放と平和を求める文章を画像つきで投稿しはじめました。

一人目の人質、湯川さんが殺害された時には、日本国内でも冷ややかな目線のコメントや報道が多く、開放や平和に向けた発言は小さかったのですが、具体的に人質交換の話が持ち上がった時、ついにSNS(主にFacebook)がI am Kenjiというメッセージとスローガンを掲げる一般人の画像による抗議活動が動き始め、広がりを見せました。

この動きは僕も勇気付けられました。ただ、どのようなアプローチが相手(ISIL関係者)の琴線に触れるかは不明なので、僕は僕のスタイルを通していました。

このとき、tsūでもFacebookタイプのメッセージ活動が動き始め、歓迎したい気持ちで一杯で、流れてきたPostをShareしていたのですが、一件だけ愕然とするウォールが目に飛び込みました。

10枚程度の「I am Kenji」画像がPostされていたのですが、出展が定かでなく本人の文章も見当たらない。あげく、Postに善意のコメントが寄せられていても、返事もしていない。

「一刻も早い、開放を願います。」
「ご無事の帰国をお待ちしています。」とコメントされたら、

「ありがとうございます。」
「少しでも、力を合わせて頑張りましょう。」くらいの返信がありますよね。

だが、しかしこのウォールにはどのPostへのコメントに関しても返信が無かった。

そこで、事件に対する便乗だな、そう考え、
「ちゃんとコメント返そうよ。」
「出典が定かでない、画像の表示は肖像権の侵害だよ。」と忠告しました。
「これ以上続けるとレポートするよ。」とも、

事件は悲劇の幕を下ろし、僕自身としてはFacebook並みの展開を期待していたのに、無反応だったtsūの運営サイドにも不満があったので、お前らが何もしないからこうなったんでしょう。と下記の画像を載せました。



すると、ご自分のPostへは返信しない流用画像専門の方、僕が忠告した方から、
「残酷なシーンを晒すな。」
「かわいそうで見ていられない、削除してくれ。」と、

卑怯なのは、すでにこの人は僕の忠告を受け入れ自身の投稿したKenji画像は削除した後で、しかも僕のコメントはブロックしているので、この人のウォールでは戦えない。

「2週間開放と平和を求めPostした僕の現実だから削除はしない。」と返しました。

すると、リポートを送られ、記事自体が運営側の判断で削除されてしまいました。

僕は、削除の際には前後のPost、この場合は事件発生からPostしたメッセージ全体を読んだら、削除の対象には成り得ない。そう考えていたので、Post単品を見て削除対象とした運営サイドに大きな不満が出来ました。


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