2015年4月28日火曜日

汚点(個人の回想録)5

2007年ゴールデンウィークにセカンドライフは、ちょっとした爆発を起こし社会現象としてメディアを賑わせました。その点に関しては、次回以降に書いていきます。また、この当時私はまったくのPC初心者だった事は、第1話(第1話。)で触れています。

そんな私が、現在のtsu同様に将来の報酬を考えたときに何ができたのか?

第5話。一番必要とされたのは、ユーザー目線だった1。

2007年の1月から4月にかけて、昨年末から今年の1月にtsuで起こったことと同様に、稼げるかもしれないセカンドライフに、各国のユーザーがアカウントを作りました。目的は、先にある報酬です。

それぞれの特技に応じて、セカンドライフの中で出来る事が変わってきます。プログラムが書ける人はスクリプトを学び、グラフィックや3D技術のある人はクリエーターとして活躍できます。企業はそれらを組み合わせ企業SIMを形成し、学術研究者はリアルタイム・コミュニケーション将来性を研究しました。

一般ユーザーで特に、これと言った特技の無い私は、ただ遊んでいました。

無料アカウントが遊べるようにFreeBoxには、様々なウェアやオブジェクトが先輩ユーザーから提供されていて、その一つ一つを試して遊んでいる毎日でした。ログイン時間は、人それぞれでしたが毎晩のように一緒に遊べるユーザーがいて、本当に面白かった。

そんな中で一人、頭部に日本刀が刺さっているブッ飛んだアバターを見つけます。最初は少し怖かったのですが、話してみると凄く良いヤツだったので色々と遊びました。

ある日私たち二人は、サッカーボールを見つけます。蹴る動作をするとボールが飛んでいくスクリプトが組まれていて、人数が集まれば試合が出来そうな完成度でした。

早速二人は、それぞれの管理地の上空にミニ・サッカー(フットサル)のコートを作り、初めてのスポーツイベントを開催します。この時はイベントといった意識はなく、面白そうだから皆で遊ぼうよ。といったユーザー目線でした。

試合後に二人は、
「これ、将来報酬に結びつきそうなイベントだね。」と話をし、
「それぞれがコンタクトできるSIMオーナーや企業に話をしてみよう。」といった按配になりました。

実はこれが後に世界初の、仮想空間でのスポーツイベントとして報道されます。

私は二人で話し合った事を、多くのSIMオーナーや企業へ話して回り、サッカーボールの製作者から使用の許可を頂きました。それと同時に、SL(セカンドライフ)フット・サルのグループを作り。宝島のボランティアと、報酬を得るためのグループを分けるつもりでいたのです。

第2回目の試合予定の数日前から、このアバターがログインしなくなります。報酬の面でも、競技のルールの面でも、もっと詰めたい内容が多かったのです。その結果ルール面も、試合の日程や企業への説明も私が行い。競技の認知度を高める狙いから、報酬を受け取らずコートの設営や試合運営を行うことにしました。これは私の独断となってしまったわけです。

一月ほどたって、このアバターの奥様を名乗る方から一本のメッセージが届きました。

「体調を崩しログインできない毎日ですが、いずれ戻りますので、その時までよろしくお願いいたします。」といった内容でした。

インターネットの世界では、ある日突然人が消えます。私もそうですし、それぞれ事情があるのですが、こと金銭が絡みそうな一線で起こると、話は複雑になり誤解を招きます。

このアバターには、恨みはないのです。
むしろ、「あの時大変だったけど、お前は今、体大丈夫なの?また何か機会があったら、一緒に遊びたいね。」と言いたい気分です。

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